ママはずぼら

育児に役立つグッズやファミリーキャンプ、キャンプ用品などについて実際に使用した感想などを書いていきたいと思います。

母に対する感情と向き合う。「30過ぎてからだけど、母が恋しい」と書くつもりだったけど、なんか違う。



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この話は特に面白くもない、母と私の関係性について少しだけ振り返ってみた記事です。

主に私の心の闇の話だと思います。

でもこういう気持ちをブログで書くことで、自分自身の気持ちの整理ができるかもしれないと思い公開します。

過干渉気味だった母(毒親?)をお持ちの方には理解できる内容かもしれません。

それでは、そんなどうでもいい話かもしれませんがどうぞ。

書いている内容の他にもたくさん思うことはあるのですが、長いので一部分をかいつまんで書きました。

 目次

 

母が東京へ遊びに来ました。

孫に会うために、慣れない飛行機に乗って数年に一度やってきます。

母がやってくることを一番喜んでいるのは、孫ではなく、子である私かもしれません。

母が帰った後は、なんだか心の拠り所が遠くにいってしまったような気持ちになります。

 

10代の頃は母が苦手だった 

正直、高校生から20歳前後の頃の私は「論理的じゃない、建設的な話ができない、感情論を振りかざす母が嫌い」「妹や弟を贔屓する母が苦手」でした。

反抗期を迎えてからの私は「母」という存在が疎ましくて仕方がなかったのです。

何を言われても理屈ではなく、感情でぶつかってくる母がとても嫌でした。

 

小学生の頃は母に甘えるのが苦手だった

それよりも前の小中学生の頃は、母に甘えることがとても苦手でした。

実家が農家なので、繁忙期になると朝早くから仕事に行き、夕方帰宅してからは弟や妹が母に甘えるので、長女である私は母に甘えるよりも父や祖父・曾祖母など、母以外に甘えやすい人に甘えるしかなかった気がします。

母へ甘えたい気持ちを、他の家族で補っていたんですね。

だから今でも母に素直に甘えることが気恥ずかしく、母が帰郷してから妙に寂しくなるんだと思います。

 

幼少期は母に甘えた記憶がない

私は母に抱き着いた記憶がありません。

抱っこされていた記憶もありません。

甘えん坊な子どもなら、小学生になっても母に抱き着いたりしていますよね、きっと。

うちの小4の長男でさえ、いまだに私にくっついてきます。

それなのに私はそんな甘え方をしたことが無かったと記憶しています。

 

私が親になり、三人の子どもにも恵まれ、専業主婦として子どもたちのそばにいられることは本当に嬉しく、夫が頑張ってくれているからこそです。

夫には感謝していますが、そういった気持ちを伝えることが下手なのも、幼少期~青年期の母との関わり方が影響しているのかもしれません。

夫にはなかなか理解してもらえないであろう「全ての子が小学生に上がるまでは専業主婦でありたい気持ち」を建設的に理論的に説明できません。

そういった感情論だけで物事を捉えがちな所は母譲りなんでしょう。

 

自分が親になり母の有難さをひしひしと感じる

話が逸れましたが、子どもを産んでからは母に対する気持ちが大きく変わりました。

毒親」だと思っていた母を尊敬すらしています。

毒親」ってなんだっけ?と忘れてしまうほど。

 

でもちょっと待てよ。あんなことやこんなことを思い出した。

そういえば話しかけても無視される時期もあったなあ。

確か私が高校生の頃。反抗期真っ最中で母の言動や行動がいちいち癇に障り「何なのこの人、頭おかしいんじゃない?」と思ってた頃。

「話しかけても無視するとか、もはや親じゃねーよ」と思っていたことを思い出した。

いやいや、当時は私も悪かったんですがね。

 

包丁突きつけられて、「お前を産んだのは母さんだ。だからお前がそんなに訳の分からないことをし続けるならお前を殺して母さんも死んでやる!」と言われたことも。

高校生で門限8時。

門限時間ぎりぎりまで思い切り遊んで帰ってくるという生活。

部活をするわけでもなく、勉強をするわけでもなく、ただただ友達と遊んでいました。

 

書きながら思い出してるんですが、書けば書くほど「毒親」だったことを思い知らされる。

 

あれ?私、今現在母さんが恋しかったけど、実は過去の自分の気持ちを今埋め合わせたいから、そう思ってるだけじゃないだろうか。

 

「お前(私)を産んだけど、義母たちにお前(私)を取られて寂しかったから、二人目をすぐ作った。母さんの手の中にはお前はいつもいなかった。お風呂に入れるのも義父や義母。ミルクを上げるのも義母。」

と言われた。

あれ?なんだかすごい違和感。子どもをモノ扱いしてる??

母からしたら義父・義母の行動は理解しがたいのはわかるけど・・・、なんだろう、もっとこう母として何かできなかったんだろうか。

「母さんの手の中にはお前はいつもいなかった」って言うけど、夜とか寝るときは一緒にいたよね。

そんなこんなで弟は年子。

私、母さんの膝に抱かれていた記憶は一切ない。

きっとそんな境遇に置かれた私だったから、母からすると「初めての子どもが自分の手の中にいてくれない」。

これって母親としてはとってもせつない、辛い。それは親になったからこそ理解できる気がします。

だから私に対しては「我が子は可愛い」という感情が薄かったんだろうなあ。

 

気性は合わない。だけどやっぱり母は母。

今は母との物理的距離がかなり離れているから、精神的な過干渉などの害がなく、心地よい距離感なのだと思う。

毒親とは、ある一定の物理的距離を取る方がお互いの精神衛生上良かったと、今心から思う。

だって、今の母子関係はこれまでにない程良好だから。

でも気性は合わないんだよね、やっぱり。

気性は合わなくても、気持ちを寄り添うことはできるようになった。

母との付き合い方は「母の気持ちに寄り添う。それがたとえ間違っていようとも、意見が合わなくても否定しない。」これでいいんじゃないかなと思う。

 

物理的距離が離れていると、なかなか顔を合わせる機会もないし、こちらの行動も話さなければわからないから必要以上に干渉されることがない。

 

なんだか母の悪口のような記事になってしまったけど、母は母で嫁姑問題や農家の本家に嫁いだせいで苦労をしていることは私も知っている。

それに母の料理はたいてい美味しい。

歳をとって味付けが薄くなってきたけれど、母は料理が上手。

魚焼きグリルを滅多に洗わないとか、けっこうずぼらなところもあるけどね。

 

なんだかんだで母が好き

なんだかんだで母が好きなんだけど、それは先にも書いたけど物理的距離が離れたせいで余計にそう思えるんだと思う。

幼少期に満足に母に甘えることができなかった記憶・経験が、今それを埋め合わせようと脳みそが一生懸命に働いているのかな。

 

まあそうだとしても、今の母に対するありがたみは間違いなく本物だし、ここまで育ててくれたこと、孫たちにとても良くしてくれることにとても感謝しています。

 

そしてこれからも元気で長生きしてほしいと心から願っています。