凍った川で死ぬかと思った話。

北海道の大自然で育った私。

家の裏は山、家の前には小川と灌漑溝(幅・深さ2m程度の水路)が流れている。

そして自分の家専用の橋もある。

 

冬にはウサギの足跡やキツネの足跡があるのなんて普通だし、夜になるとときどきフクロウも見る。

ちなみにヒグマもいるらしい(寝床は別の場所で、うちの裏山は移動するだけの通過点らしい)。

 

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私が小学生の頃の話。 

畑に積もった雪は1月の終わりから2月になると固くしまった雪になり、畑の上を歩いてスクールバス乗り場まで行ったりしていた。

もちろんそんな寒さだから自分の吐いた息でまつ毛は凍るし、小鼻はひっつく。

小学校に通うだけなのに、アウターはスキーウェアに雪用グローブ、スノーブーツという完全防備。

 

下校ももちろんスクールバス。

バスから降りてからの帰り道の土手下には小川が流れている。

その小川も冬になるとカッチンコッチンに凍る。

そうなるとその上を歩きたくなるのが子ども心。

親や曾祖母には「危ないから川で遊ぶんじゃないよ」と言われているけれど、そんなのお構いなし。

 

そんな感じで弟と一緒に、3月頃もまだ川の上を歩いたり、畑の上を歩いたりして遊びながら家まで帰っていた。

 

大人になったらわかるけど、3月って雪解け始まってくるので川の上なんてもう危ない。

危ないどころか一歩間違えれば確実に死ぬ。

川に張った氷の上から落ちて川に流されれば、その先にある氷の下に体が潜り込んでしまう。

要は氷の下の川に閉じ込められてしまうので、見つかるのは雪解け後。

ずーっと昔はそんな話が年に1回くらいあったそうだ。

 

で、類にもれず私たち姉弟も雪解けが始まり氷が溶けだした川の上で遊んでいたら「ミシミシミシ」「ジュワジュワー」とか何とも鈍ーい音とともに氷が水の中に沈み始めた。

 

と思った瞬間、「ドボーーーーン!!」と二人の体が落ちた。

 

私は必死でその辺に生えていた枯草や枯れ枝にしがみつき、土と雪に爪を立て這いあがることができた。

「あ!!弟!!」

弟も近くの細い枝になんとかしがみついていた。

 

でももう流されちゃう!!

その時私は「大人を呼んでこないと!」と思い、無情にも弟を置いて大人の助けを呼びに行こうとした。

私「姉ちゃんじゃ助けられないから、パパたち呼んでくる!!待ってて!!」

弟「姉ちゃん、待って~。置いてかないで~」

私(心の声)「あれ、でも待てよ。これ置いてったら死ぬな。」

そう直感的に思った私は全力で弟の腕をつかみ引き上げた。

 

それまでの死がすぐそこにある恐怖感から解放された私たちは、一気に寒さという現実に引き戻される。

 

「やばい、やばい、体凍る、凍るよ。早く家に帰ろう・・・・。」

冷たい水に濡れた服と体は、ちょっと風が吹くだけで極寒を通り越して痛い。

思うように手足が動かない。家まであと100mもないのに。

弟は寒くて痛くてべそをかいている。イラついた。

「こっちだって寒いんだよ、痛いんだよ。もっと早く歩けよ。」と思ったけど

「がんばれ。家までもう少しだよ。早く歩かないと死んじゃうよ。」と言って励ましたことを覚えている。

 

家について事の顛末を話したけど、なぜかあまり怒られなかった記憶がある。

私のランドセルの中身はあまり濡れてなかったけど、弟の教科書やノートは半分くらいびしょびしょだった。

灯油ストーブの前でふやけながら乾いていく教科書とノート。

 

あの時、流されなくて本当に良かった。

流されていたら春まで見つかることは無かったと思う。

 

それ以来凍った川で遊ぶときはかなり慎重になったし、凍った川の上であそぶよりも固雪になった畑の上を歩いたりして遊ぶ方が多くなったことは言うまでもない。

固雪の畑もたまにトラップが仕掛けられたかのように、突然「ズボッ」と太ももくらいまで埋まることがあって楽しかった。

その自然のトラップにハマった弟を見るのも楽しかった。すぐに助けたけど。

 

そんな弟も最近少し頭頂部が薄くなってきたことは、見なかったことにしておこうと思う。

 

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