【ダークサイドに落ちた思い出】私のおばあちゃん【知りたくなかったオチつき】

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こんにちは、ずぼらママです。

はてなブログの今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」をやってみようと思います。

私のおばあちゃんは、私が小さいときは4人とも存命でした。

父方のおばあちゃん、ひいおばあちゃん。

母方のおばあちゃん、ひいおばあちゃん。

みんな元気でした。

このおばあちゃん4人の中で、今回は母方のおばあちゃんの話を書きたいと思います。

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母の母=私のおばあちゃん(当たり前)

私はおばあちゃんの初孫でした。

私の家から車で15分もかからないような場所に住んでいたおばあちゃん。

4歳になる前から一人でおばあちゃんのお家にお泊まりするくらい、おばあちゃんが大好きでした。

さすがに中学生くらいになると泊まりに行く回数はどんどん減っていきましたが、それでもお盆やお正月には泊まっていました。

初ひ孫である私の長男を抱いて、とっても嬉しそうに目を細めている写真も大切に保存しています。

 

おばあちゃんの思い出ランキング

10位 : ばあちゃんの家の大きな杏の木

ばあちゃんの家の前にある杏の木。杏拾いを手伝った記憶が蘇ります。

 

9位 : 毛糸でたくさん靴下を編んでくれた

真冬になる前に、良く編んでくれた毛糸の靴下。雪遊びするときに履いていた記憶があります。

 

8位 : せっかく目がクリクリで美人なのに、苦労が多くて綺麗にしている所をあまり見たことがない

ばあちゃんが綺麗にしている所って、あまり見たことがないです。

 

7位 : ばあちゃんが鍋で炊くご飯

炊飯器で炊くご飯とは比べ物にならないですよね。

 

6位 : サイダーなどの炭酸が大好きで、いつも炭酸ジュースが入っていたばあちゃんちの冷蔵庫

本当に炭酸が大好きで、遊びに行くたびに冷蔵庫に炭酸ジュースが入っていました。亡くなった今も、仏壇の前には三ツ矢サイダーとかお供えしてます。

 

5位 :お金無いのに幾つになってもお小遣いをくれるばあちゃん 

色々な問題で老後のお金があまり無かったおばあちゃん。それでも孫やひ孫にはお金をあげたい思いが強かったです。ありがとう、ばあちゃん。

 

4位 : 昔話の本をたくさん貰ってきてくれた(買っていないw)

ばあちゃんの家では、本当にいろんな昔話を読みました。実はその本が近所のおうちから頂いたものだったとは知りませんでしたが、ばあちゃんが「孫が本が大好きでね~」なんて言って歩いていたそう。ありがとう、ばあちゃん。私、本大好きだったよ。ばあちゃんの家で真冬に読んだ「ゆきおんな」の話がいまだに忘れられません。

 

3位 :白くなったチョコレート

ブルーム現象が起こったチョコレートってカビが生えたように白ーくなるんですよね。ばあちゃんの家にはそういうチョコレートが時々ありました。あんなチョコレート、いったいどこで買ってくるんだろう。

 

2位 : 薪ストーブのばあちゃんの家は、真冬にいくと常に32度越え

夏より暑い、ばあちゃんちの冬

 

1位 : 外で飼っていた犬に、何年も飼っていて死んだ金魚を餌にしたばあちゃん(しかも生)

これ、かなり衝撃的でした。犬の餌の器に金魚入っているから「あれ?ばあちゃん、金魚入ってるよ?生ごみに移しておこうか?」と聞いたら、まさかの返事。

ばあちゃん「いやいや、外の犬にやるからいいんだ~」

私「え!?まじか・・・。」

などなど、おばあちゃんの思い出はまだまだたくさんあります。

皆さんはどんなおばあちゃんの思い出がありますか?

普通の人はドン引きする面白い思い出、ありませんか?

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ばあちゃんが亡くなった

そんなおばあちゃんが亡くなったのが数年前の冬。

私が北海道から東京に引っ越してから数年後のことでした。

40代の頃に心臓病で手術、60代で脳梗塞、その後リウマチのような症状が手や足の指に出てきたりと年相応以上に病気が多く、最終的には癌による多臓器不全で70代で亡くなりました。亡くなる前は痛くて痛くて、日々モルヒネの量が増やされていったそうです。入院中は私がいつ帰省するのか、何度も何度も母に尋ねたそうです。最期は意識がある時間がほぼ無く、毎日付き添っていた母も辛かったことと思います。

 

葬儀に行けなかったこと

亡くなる2カ月前、帰省中に何度もお見舞いに行ったときは、時々意識がはっきりしないこともあったけど「冷蔵庫の中の食べていきな。」とか「もういいよ。帰りなさい」なんて気を使ってくれていたおばあちゃんを思い出します。

そんな私のことをとても可愛がってくれていたおばあちゃんの葬儀に行けなかったこと。母が「東京から来るの遠いし、身内だけの葬儀だから来なくていいよ」と言われて行かなかったこと、未だに心残りです。

別に骨を拾うことが供養だとは思っていません。

ただ最期におばあちゃんの顔を見て、触れて、ちゃんとお別れしたかったなと。花と電報だけしか送らない、本当に薄情な孫。

「思う心が大事なんだよ。その思うということが供養だよ」とはよく言うけれど、あのことは私の心残りです。

葬儀というのは亡くなった人のためじゃなく、遺された人のため、遺された人の気持ちを救うためにするものだということがよくよく理解できました。

 

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母は最期を看取れたことで幸せだったのだろうか 

母は自分の母親を最期まで看取れて、お世話は大変だっただろうけど、心は幸せだったのかもしれません。

看取る方としては心残りや後悔が一番少ない看取り方だったのではないでしょうか?

もしも私の母もそんな風に亡くなる日が来たのなら、自分の母親だからこそ最期まで看取ってあげたいと思います。

 

亡くなった人の悪い話は聞きたくない  

亡くなってから数年後、私の父から聞かされた「隣の家のじいさんとチチクリあってた」なんていう衝撃の話。

乳繰り合うだなんて表現が下衆すぎる。

「わざわざ死んでから言わなくてもいいだろ!しかもばあちゃんが大好きだった私に話さなくたっていいじゃないか!大概にしろよ」と激しく父に憤りを感じました。だって、そんな話聞いて誰が得するんだよ?って思いませんか。

まさに死人に口なし、いい思い出がどんどん霞んでいく気が…。

どうやらこの話は、孫たちは誰も知らない話の用です。私を除いては。

本当にそんな話、聞かせないで欲しかったな。しかも隣のじいさんだなんて、妙にリアル。思い当たる節、無くもない。

はあ、これまで築いてきたおばあちゃんとの楽しい思い出が一気にダークサイドに落ちていく感じでいっぱいです。 

その相手も祖母より先に鬼籍に入っているので、真偽を確かめる術がないことが唯一の救いです。

 

ということで、皆様におかれましては、くれぐれもいい思い出は、いい思い出のまましまっておけるよう、記憶に鍵をかけておくこと、

故人の悪口や噂話は、同じ思いを抱いていると確信できる人の間だけで話すことを強くおすすめいたします。

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